あか羽の歴史
History
あか羽について
About Akahane
鴨料理の老舗 あか羽
1948年10月元宮内庁狩猟頭で当時、皇太后太夫(後の伊勢神宮宮司)であった故坊城元伯爵の立会いのもと、大善寮の「諸鳥包丁之事」を伝授され東京赤坂・福吉町に創業
昭和23年 赤坂福吉町 鷹匠料理「あかはね」
昭和45年 新橋 鷹匠料理「あかはね」
昭和46年 飯倉 鷹匠鍋「あか羽」
昭和50年 青山 鷹匠鍋「あか羽」
平成12年 赤坂 鷹匠鍋「あか羽」
幡ヶ谷 諸鳥山菜「匠」
令和4年 麻布十番 鷹匠鍋「あか羽」
赤羽 梅子
鷹狩を通じて宮内省式部官であった坊城俊良氏と知り合い戦後に国体を憂いた氏から鷹匠料理一式を受け賜わる
鴨に造詣の深かった黒田長禮侯爵から寄贈されたマガモのつがいの画
侯爵は戦前の宮内省主猟官や式部官を歴任され
創業時あか羽は黒田邸の隣、赤坂福吉町からスタートしました
ご来訪者
赤坂あか羽には殿下にもご来訪頂いておりました
白洲次郎・正子夫妻
ジョセフ・オルソツプ(J.F.ケネディ政治顧問)
Joseph Alsop
アメリカの雑誌であか羽が取り上げられた時の記事
後にJFケネディ政治顧問となる
ジョセフ・オルソップさんによるもの
よく御来訪されていたライシャワー夫妻・春子さんが翻訳して下さいました
我が冒險 食べ歩き
An Adventure In Eating
ジョセフ・オルソツプ(J.F.ケネディ政治顧問)
ライシャワー春子 訳
〜焼き肉は別だが 残念ながらアメリカ人は食べ物に臆病千万である
著者は要するに いためた蜂や野兎の背肉やらを食べ歩いた末、東京であるレストランを見出した〜
生れたてのジャングル鼠は、とてもちっぼけで「ももいろの海老」のようであり何ともいえない味がする。
象の鼻のラギュー(肉片・野菜入りのシチュー)の中の肉はたくさんの古ゴムタイヤのようなものであるが掛汁が滋味に富んでいるので、料理はかろうじて救われている。風味のよい蚕のソーテ(軽くフライにしたもの)を食べると木のの実を想い出す。
蜂の子のいためものは、カリカリする焼羊肉の肉皮と、野生の蜂蜜のちょうど合の子のようなものである。
そんな風にちょっと奇妙な味覚を知りえたのは一人の食通の冒険の賜物であり、或は少くとも成果ではある。
鼠の赤仔は、チベットの東の国境近辺のシカン族の饗応においては、一番御自慢のぜいたくなのである。
象の鼻は、ビルマ公路の投機で成功したクンミン氏の夕食にでてきたのだが彼は又、私達に熊の足や、海蛞蝓(ナメクジ)や鹿の腱、その他中国人が男性に精気をつけるので「貴重である」として大金を投するような二三の料理を食べさせてくれた。
蚕は、シャムの北東部のある村で、ややものうげな大晦日に元気をつけようとして私がとびこんだパーティの小菜であった。
蜂のいためものは、もつとたやすくたべられる。なぜならそれは、いわばこの特別のお説教の本文である。
東京の料理店「あかはね」での、普通の前菜であるから。
その前菜は奇妙だが、それにしても、「あかはね」は稀に見るに値する食事の場である。
東京を訪れる人はだれでも其処へ行くことができるし又、私は「あかはね」の物語が、肘掛椅子の航海者や家の外に出ない美食家たちにも興味深いもののように思う。
だが、本文に入る前に、私のお説教がそもそも何についてだか、説明しておく方がいいだろう。
ー 続くー
出典:TIMEに掲載された記事 春子さん訳
ジャッキー・チェン
Jackie Chan